この川からはあらゆる生活の臭いが混じり合って立ち上る

　映画の冒頭で登場するアパートは、チャンフンダ(Tran Hung Dao)通り沿いに建っていた。道路の脇から見上げてみると、窓という窓に洗濯物が干され、生活の一部が垣間見られる。この決して豪華とはいえないアパートに住む人々。そんな庶民の生活の1つを抜き出し、描いたのが『シクロ』ではないだろうか。

　チョロンのずっと奥、通称「コーヒーリバー」と呼ばれる5区と6区の間を流れる川は、底が見えないほど黒くよどんでいる。以前は、岸沿いに掘っ立て小屋のような家々が密集していたが、開発計画により今では大半の家が強制的な立ち退きに遭っている。都市が発展していくにつれ、居場所を失っていく最下層の労働者たち。

　今後この街がさらに大きく成長を遂げるとき、彼らの姿はどこにあるのだろう。そんなことを思いながらシクロ運転手たちに目を向けると、彼らは相変わらずのんびりしたペースでペダルをこいで行くのだった。