職人技と美学は 国を越えてベトナム人が繋ぐ日本文化
カテゴリ:今月の特集
更新:2020/05/15 – 10:00
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キモノエーニャット
KI-MO-NO E NHAT
代表の渡部衿子氏は1992年5月の初来越より着物の指導にあたり、当地における着物経営の先駆者となる。2006年べトナム外国投資法の改正直後に外資100%で会社を設立。委託加工会社として、主に呉服関連の大手企業による誂え手縫い高級呉服を手掛ける。
住所: Lodge IV 2, Industrial Group IV, Tan Binh Industrial Zone, Tay Thanh Ward, Tan Phu Dist., HCMC
https://kimono-vietnam.com
高度の運針技術による
着物仕立て最も大切にするべき基本が、ここにある
黒の紳士服生地の着物に、アオザイ生地で仕立てた襦袢、疋田絞り模様の半襟に、40年前から大切にしている絽の夏名古屋帯という粋な出で立ち。キモノエーニャット代表の渡部衿子さんは、凛とした着物姿で語る。
「ベトナム人に着物の仕立てを教え始めた当時から、振袖や留袖を誂える上仕立てを指導してきました。本質を理解してもらうために、日本では最後に教える最も大切な事柄を最初に教え切ったのです。着物は“運針に始まり、運針に終わる”をモットーに、最初の3ヶ月間、うちの子たちはみんな悔し涙を流しながら運針をやっていたんですよ。そうやって身に着けた基礎があるから、どのような難しい依頼に対しても、知恵を絞って縫い上げられるのです」
日本から届く二つとない誂えの着物の注文内容を一つひとつ丁寧に吟味し、確認し、考え、日本側に提案し、そして高度な運針技術を駆使して美しい一枚の着物に仕立てていく。
「私は本来、面倒なことが苦手なのですが!」と笑う渡部さんの右腕的存在は、工場長のミン(Mien)さん。この道29年の大ベテランで、日本でも着物技術の研修生として数年学び、豊富な知識と縫製管理能力を活かして約200人の職人を束ねる。
今もまさに、通訳のビック(Bich)さんと連携をとりながら、イレギュラーな注文に対応中だ。てきぱきとミンさんが出す指示に従い、裁断、素縫い、纏めなど、各持ち場で黙々と手を動かす職人たちのまなざしは真剣そのもの。「大切な着物ですから、常に緊張感があります」と職人は語る。最高品質の着物を誂えるため、どの工程でもミスは許されない。
現地の着物工場からの依頼で渡部さんが初めてベトナムを訪れたのは1992年。当時は多くの国民が、日々の暮らしをつなぐのに精一杯の時代だ。かたや東京はバブル末期で、高額な着物が飛ぶように売れていた。
「ベトナムで着物なんか縫えるわけがない、3日で帰ると決めていました。そんなある日のお昼時、職人たちが口々に『先生、食べる?』とバインミー(Banh Mi)を笑顔で差し出したのです! 聞けばみんな一日一食という彼女たちのやさしさ、純粋さ。『着物を縫ったらご飯が食べられるようになりますか?』と尋ねられたとき、この子たちなら縫えると確信し、心が決まりました」
運針技術を習得した職人たちの才能はすぐさま開花。1993年6月には専属通訳だったホア(Hoa)さんを代表として、日本企業とともに空港近くに着物工場を設立した。当時では画期的な基本給+歩合制を取り入れ、空輸による合理的な仕組みづくりと改善を重ねて着実に業績を伸ばした。
「運針も仕立ても得意だった18歳の頃、学校長に『頭の中にあることを黒板で説明できますか?』と聞かれたことで説明できない自分を知り、これが私の基礎となりました。しっかりと伝えるために、技術の言語化・図式化に取り組むようにしたのです」
半面、既製品と異なり、誂えの着物には常に柔軟さも求められる。
「反物は一反一反、長さも幅も違います。人の数ほど生地があり、針も糸も仕立ても、まるで方言のように数がある。そういった曖昧さゆえに、難しいなと思う発注もあります。それでも職人たちは勘がよく、高度な運針でこなす力があるんです」
現在、ベトナムで着物の仕立てを請け負う企業は地場と外資を合わせて23社。着物業界も時代の影響を受けており、2010年度に約110万反だった受注数は、2018年度には44万反まで減少した。
1ヶ月の生産数は約4000枚。1993~2019年までに教え子たちと縫ってきた着物の総数は115万枚に及ぶ
裁断、素縫い、まとめなど、各工程が丁寧に行われる。物差しは鯨尺、針は四ノ三の絹針を使用
1995年レガメックス国営工場にて
1. 麻の葉模様の大島紬に施されたきれいな躾(しつけ)
2. 着物の仕立てに欠かせない、歴史を感じさせるタキイ電器製のコテ釜
代表の渡部さんと職人のみなさん。「着物は日本伝統の衣、ベトナムのアオザイ(Ao Dai)と同じです。女性にとって一番嬉しい魅力は、なんといっても外見だけでなく内面からの美を引き立ててくれるということです。自然と凛とした美しい動きになります」―ミンさん/工場長
「私の仕事は、日本の取引先と工場、社長と現場の職人たちの通訳です。人と人とを繋ぐ仕事なので大きな達成感が得られますし、よい職場は家族まで幸せにするということがよくわかりました」―ビックさん/通訳
世界に誇れる日本文化は、「なおして着る」着物
日本からの受注以外に、渡部さんが取り組んでいるのが「着物メモリーズ/KIMONO Memories」の活動だ。箪笥の奥に眠っていた着物を、依頼人に合わせて仕立て直す。
「かつて日本人にとって着物は日常着でした。それが利益優先に扱われたことで、着物は高価で難しいものとされてしまいました」
着物は直線断ちで仕立てるため、糸を解くと1枚の布に戻る。
「最後の欠片の生地まで大事にした先人たちの想いです。今は生活の中に着物がなさすぎて、本来の曖昧さが失われつつありますが、“古い”着物を仕立て直して着ることが文化なんですよ」
古い着物には、生地の傷みや寸法不足などの課題もあり、まずは解いてみないと始まらない。素材や用途などを考慮して、新しい命を吹き込んでいく。
「もう高価なばかりが着物ではありません。これからは先人が残してくれた着物を味わっていく時代。私は優秀なスタッフたちとともに、この日本文化を守りたいという思いで日々取り組んでいます」
美しい針目の連なりには、渡部さんが守り抜き、職人たちが引き継ぐものづくりの精神が宿っている。
渡部さんが3歳の時に着用していたモスリンの着物は、母親が手縫いで仕立てたもの。原点はここから
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