#41 Đường Tô Hiến Thành
トーヒエンタイン通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2017/04/19 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
文武両道・公平誠実
李朝の2皇帝に仕えた官吏
トー・ヒエン・タイン(To Hien Thanh、1102~1179年)は、リー(Ly/李)朝(1009~1225年)の官吏。李朝第6代皇帝リー・アイン・トン(Ly Anh Tong/李英宗)と第7代皇帝リー・カオ・トン(Ly Cao Tong/李高宗)に仕え、1175~1179年に太傅および摂政の職に就いた。「文武両道」、「公平誠実」の官吏として有名で、皇室の出自ではないにもかかわらず皇帝から貴族の称号を与えられた。
タインは、現在のハノイ・ダンフオン(Dan Phuong)県ハモー(Ha Mo)村生まれ。1140年に現在のターイグエン(Thai Nguyen)省で起きた李朝第4代皇帝リー・ニャン・トン(Ly Nhan Tong/李仁宗)の息子を自称するタン・ロイ(Than Loi)の李英宗帝に対する反逆を鎮めたことにより、歴史書の中で初めてその名が言及された。
翌1141年、李英宗帝の命令に従い、タン・ロイを捕らえて打ち首にしたが、反逆に参加した他の人員については人道的な精神から容赦するよう皇帝に助言したという。タインが最も活躍したのは晩年のことだが、それ以前にも現在のクアンニン(Quang Ninh)省やタインホア(Thanh Hoa)省、ハーティン(Ha Tinh)省の沿岸各地を干拓し、大きな功績を残した。
1175年に李英宗帝が崩御すると、タインは当時まだ1歳だった李高宗帝を即位させ、自ら摂政として李高宗帝に仕えた。しかしすでに高齢だったため、李高宗帝が6歳となった1179年に病に倒れて死去した。
現在もニンビン(Ninh Binh)省やハーティン省、タインホア省など北部各地の寺にまつられているほか、ホーチミン市では、10区を走る通りにその名が冠されている。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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