#39 Nguyễn Phúc Nguyên
グエンフックグエン通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2017/02/17 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
各国と対外関係を築いた塘中の君主日本とも朱印船貿易で交流
グエン・フック・グエン(Nguyen Phuc Nguyen/阮福源、1563年8月16日~1635年11月19日)は、広南阮氏が現在のベトナム南部に築いた塘中(1558~1777年)の第2代君主。在位1613~1635年。
父グエン・ホアン(Nguyen Hoang/阮潢)の死後に即位すると、父の政策を継いで後レー(Hau Le/後黎)朝(1427~1789年)の支配を拒絶し、塘中の独立を維持。1615年にはポルトガル人商人との貿易を認め、現在のホイアン(Hoi An)にあたるファイフォ(Faifo)に貿易所を開設。ヨーロッパや日本、中国などから商人が集う貿易港としてのホイアンの発展に寄与した。
日本とは朱印船制度のもとで貿易が行われた。中国の明朝と清朝が海禁政策を行っていたため、多くの日本人商人が中国の絹や陶磁器を求めてベトナムを訪れた。日本は中国製品のほかに東南アジアの砂糖などを輸入、銅などを輸出した。現在のホイアンでは、沈没船から膨大な量の日本の銅銭が発見されている。
息子11人と娘4人、養女1人がおり、娘を海外に嫁がせることで対外関係を強化。三女は15世紀末から既に中国やオランダ、スペイン、マカオなどと貿易を開始していたチャンパ王国の国王、ポー・ロメ(Po Rome)に嫁いだ。これにより、ベトナムとチャンパの関係も良好になり、南部での塘中の立場も安定した。さらに養女は、朱印船の貿易商人でベトナムを訪れていた荒木宗太郎のもとに嫁ぎ、「王加久戸売/わかくとめ」という名で日本で暮らした。
1635年11月19日、73歳で死去。次男グエン・フック・ラン(Nguyen Phuc Lan/阮福瀾)が後継者となった。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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