#31 Đường Nguyễn Văn Cừ
グエンヴァンクー通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2016/06/23 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
26歳で共産党書記長に選出
反帝国主義に尽力した若き指導者
グエン・ヴァン・クー(Nguyen Van Cu、1912年7月9日~1941年8月28日)はフランス植民地時代のインドシナ共産党第4代書記長。在任期間は1938年3月30日~1940年11月9日。レー(Le/黎)朝(1428~1527年、1532~1789年)を建国したレー・ロイ(Le Loi/黎利)の宰相、グエン・チャーイ(Nguyen Trai/阮 )の子孫。バックニン(Bac Ninh)省トゥーソン(Tu Son)県に生まれ、1927年に15歳でベトナム青年革命同志会に参加。1929年6月にインドシナ共産党に入党し、翌1930年フランスに逮捕されコンダオ(Cong Dao)島へ流刑となった。
1936年に解放された後も共産党の基礎の回復と反仏運動の推進に尽力。1937年9月に党中央常務委員会のメンバーに選ばれ、翌1938年3月に26歳の若さで党書記長に選出された。党の中心任務の一つとして、統一的な民主戦線の設立を掲げるとともに、全力を挙げてこれを実現するよう指導。1936年設立の反帝人民戦線をインドシナ民主戦線に改名し、帝国主義の打倒に注力した。
1940年6月、サイゴン(現在のホーチミン市)でフランスに再び逮捕され、インドシナ帝国に反する民族統一戦線の設立を指導した罪などで死刑を宣告された。翌1941年8月28日、ザーディン(Gia Dinh)省ホックモン(Hoc Mon)区(現在のホーチミン市ホックモン県)で、インドシナ共産党第3代書記長のハー・フイ・タップ(Ha Huy Tap)ほか、党幹部のグエン・ティ・ミン・カイ(Nguyen Thi Minh Khai)らと銃殺刑に処された。29歳だった。
2012年7月には故郷のバックニン省で生誕100周年記念集会が開催。同省やハノイ、ホーチミン市など、多くの省・市の通りに彼の名が付けられている。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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