#30 Đường Nguyễn Tri Phương
グエンチーフオン通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2016/05/15 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
皇帝3人に仕えた阮朝軍司令官
各開墾地の鎮圧と対仏戦争で活躍
グエン・チー・フオン(Nguyen Tri Phuong、1800年7月21日~1873年12月20日)は、グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)の軍司令官。トゥアティエン・フエ(Thua Thien-Hue)省フォンディエン(Phong Dien)県に生まれ、本名はグエン・ヴァン・チュオン(Nguyen Van Chuong)。
1823年、阮朝第2代皇帝ミン・
マン(Minh Mang/明命、在位1820~1841年)帝の時代に官職に就き、1835年、ザーディン(Gia Dinh、現在のホーチミン市と近郊各省)の開墾地の鎮圧に成功し昇進。同皇帝から阮朝第3代皇帝ティエウ・チ(Thieu Tri/紹治、在位1841~1847年)帝の時代には南部の開墾地を守り、1845年にシャム(タイ)軍を打倒したほか、カンボジアとの国境地域の安定と鎮圧でも活躍。その後、功績を認められて重職に就き、紹治帝の死後、阮朝第4代皇帝トゥ・ドゥック(Tu Duc/嗣徳、在位1847~1883年)帝の上級顧問となり、引き続き南部全域の管理を任せられた。
1858年、ダナンでの戦いで阮朝軍を指揮し、フランス軍を撃退。1859年にフランス軍がザーディンを攻撃すると、これに対抗したが、1861年に敗れて負傷。ザーディンは再びフランス軍に占領された。1863年からは、北部にも赴いて主に国境地域の安定と鎮圧に尽力した。
1873年11月にハノイを奇襲したフランス軍と戦い重傷を負い捕われると、1ヶ月にわたり治療も飲食も拒み続け、同年12月20日に死去した。
現在、多くの省・市の通りのほか、ホーチミン市のタウフー(Tau Hu)運河に架かる橋や、ダナンのカームレ(Cam Le)川に架かる橋などに彼の名が付けられている。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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