#28 Đường Ngô Thời Nhiệm
ゴートイニエム通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2016/03/11 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
国防・政策・外交も担った知識人
西山朝の影の立役者
ゴー・トイ・ニエム(Ngo Thoi Nhiem/呉時任、1746~1803年)は、ゴー・ティー・ニャム(Ngo Thi Nham/呉時壬)の名で知られる。後レー(Hau Le/後黎)朝(1427~1789年)およびタイソン(Tay Son/西山)朝(1778~1802年)時代の知識人で文人。数々の書物と詩を残したほか、1787年から1789年にかけて、西山朝に介入した清軍の撃退で大きな成功を収めた。
ゴー・トイ・ニエムは聡明で、早くから歴史に関する書物を記していた。1768年、22歳にして科挙の地方試験にあたる郷試でトップの成績を収め、中央試験の会試および最終試験の殿試にも合格。1775年に29歳で進士となった。
1778年、グエン・フエ(Nguyen Hue/阮恵)ら西山三兄弟は西山党の乱を指揮して敵対勢力を滅ぼし西山朝を立てた。第2代皇帝クアン・チュン(Quang Trung/光中)帝として即位したグエン・フエは、ゴー・トイ・ニエムを西山朝の官僚に任命。その後、西山朝の戦勝に貢献し、1790年には、現在の国防省にあたる兵部の長に任命された。ゴー・トイ・ニエムは兵部に勤めながらも各政策や中国との外交まで指導し、中国に渡った外交使節団のトップの1人となった。しかし、1792年のクアン・チュン帝死後、信用を失い、政界から遠ざかり仏教研究に戻っていった。
1802年、西山党の乱で逃げ延びた広南阮氏出身のグエン・フック・アイン(Nguyen Phuc Anh/阮福暎)が西山朝を滅ぼし、グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)を立てて、初代皇帝ザーロン(Gia Long/嘉隆)帝(在位1802~1820年)として即位した。翌1803年、西山朝の残党として敵視されていたゴー・トイ・ニエムはハノイの文廟で鞭打ちを受け、鞭に使われた毒薬により死去した。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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