#28 Đường Lê Công Kiều/レーコンキエウ通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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ホーチミン市の「骨董通り」 ドンタップの偉人とその歴史

vn-history-logoレー・コン・キエウ(Le Cong Kieu)は、フランス植民地時代の愛国者。反仏運動で犠牲となった。出身は現在のドンタップ(Dong Thap)省カオライン(Cao Lanh)市、生年は不明、没年は1866年とされている。「キエウ将校」を意味するドックキエウ(Doc Kieu)やドックビンキエウ(Doc Binh Kieu)のほか、チャン・フー・キエウ(Tran Phu Kieu)やグエン・タン・キエウ(Nguyen Tan Kieu)など様々な名で呼ばれていた。 レー・コン・キエウの活動地域は、現在のティエンザン(Tien Giang)省ミトー(My Tho)からロンアン(Long An)省タンアン(Tan An)まで広く及んだ。1864年、反仏運動で次々と仲間が犠牲になり、自らの対仏武装勢力が困難な状況に陥ったことで、ロンアン省・ティエンザン省・ドンタップ省にまたがるドンタップムオイ(Dong Thap Muoi)地域に撤退し、ドンタップ省タップムオイ(Thap Muoi)県のゴータップ(Go Thap)の地に総司令部を設けた。 その後、対仏武装勢力はフランス軍を積極的に攻めたものの強さで敵わず失敗に終わり、彼は1866年の戦いで負傷、数日後に死去した。 ホーチミン市1区のレーコンキエウ通りは、全長200mで幅も狭い通りだが、「骨董通り」として知られ、ありとあらゆる時代の骨董品が所狭しと並ぶ。かつては名もなき路地裏だったが、フランス植民地時代の1920年にフランス政権が拡張し「ランス(Reims)通り」と名付けられ、1955年、サイゴン政権がレーコンキエウ通りに改名した。この通りが最もにぎわっていた1990年代後半から2000年代前半頃は、世界各地の博物館で開かれた古物展などで骨董品への関心が高まり、多くの外国人観光客が掘り出し物を求めて集まったという。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。