ベトナムの日本人/萩原周一さん/居酒屋「魚源」店主

直感を信じ、流れ流れて彼女の故郷バリア・ブンタウ市へ 「本物」がある大好きな場所で、家族とともに生きていきたい

hagiwara 「自分で食べ物を育て、おいしいものだけを口にして、家族が当たり前にそばにいる。自分もこんな風に生きていきたいです」。 約10年間過ごしたホーチミン市から2014年6月にヴンタウに移住し、居酒屋「魚源」をオープンした萩原周一さん。岩ガキのゴマ油漬けやアサリの佃煮など海の幸を使った「酒が美味しく飲める肴」を提供し、朝と夕方に市場へ仕入れに行くのが毎日の日課だ。 「この魚のにおい、落ち着くんですよね」と地元の人々と観光客でごったがえす中を闊歩する姿はこなれたもの。イカならここ、魚ならここ、と行きつけがあり、おばちゃんたちともすっかり顔馴染みだ。目星をつけるとすぐさましゃがみこみ、エラの状態や目玉の透明度、吸盤の吸い付き具合をくまなくチェック。うようよと動くイカをつかみ上げ、「鮮度が高いイカは、眼の上に青い眉毛のような線があるんですよ。これは最高。ひと目ぼれ!」と即お買い上げ。  ヴンタウの新鮮な海の幸以外にも、移住を決めた理由がある。それは、ホーチミン市で出会ったヴンタウ出身の彼女の存在だ。 「初めて彼女の実家を訪れたとき、『やばい、ここに住みたい!』とビビッときたんです。田舎育ちの素朴な彼女と出会い、自分が求める将来像が見えてきた気がします」。 この日は彼女が不在にもかかわらず、車で1時間ほどの彼女の実家がある村へ。到着するや否や「シンチャーオ!」と元気いっぱい両手を広げて家に入り、家族がごく自然に笑顔で迎え入れる。 昼食時に、心なしか背筋を伸ばしてお父さんの隣に座って勧められるがままに酒を飲み、ご飯をかきこむ姿は、まるで「かわいい息子」のよう。飼育中のドンタオ鶏の食べ頃や、友人が遊びにきたときの思い出話など話題は尽きず、家族の食卓に溶け込む様子にこちらまで温かな気持ちになる。 「庭の植物に彼女が水やりをして『ハシゴ移動させて!』なんて言われて尻に敷かれながら、最高に幸せを感じますね」。 家の敷地内にあるお父さん自慢のコショウやモリンガの木が生い茂る広い庭は、料理人の萩原さんにとって、新鮮な魚介類が並ぶ市場と同様に心躍る食材の宝庫だという。赤土を駆け回るニワトリや、ヤギと豚小屋、飲み水を汲み上げる井戸。やんちゃなガキ大将のように庭中を回りながら、「この場所には、僕にとっての〝本物”がいっぱいあるんです」と表情を輝かせる。 ビルに囲まれた東京の下町で育ち、カブトムシはデパートで買うものと思っていた幼少期を過ごした萩原さん。ここでの暮らしは以前から憧れていた理想そのもので、近い将来彼女の実家近くに家を建てるのが夢だと話す。 「心の赴くままにやってきて、今が1番自分らしく生きている実感があります」。 たくさんの希望に満ちあふれる新生活。ヴンタウでの日々は、萩原さんの人生を一層豊かに、真っ直ぐなものにしていくに違いない。
萩原周一 はぎわらしゅういち 1974年生まれ、東京都出身。シェフとして働いていたビストロでアジア特有の香草の魅力にはまり、2003年に28歳で来越。ベトナム料理店やベトナム土産開発、居酒屋「くーろん」での勤務を経て、ヴンタウに移住し居酒屋「魚源」をオープン。
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