#08 Đường Võ Thị Sáu/ヴォーティサウ通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介 Street201406_00 短き人生を愛する祖国と革命に ささげたうら若き少女革命家 vn-history-logoヴォー・ティ・サウ(Vo Thi Sau/武氏六、1933年または1935年~1952年1月23日)は、フランス植民地時代の女性英雄烈士。現バリアヴンタウ(Ba Ria-Vung Tau)省のダットドー(Dat Do)に生まれ、革命家であった兄とともに、10代前半から抗仏運動に参加。1950年、ダットドー市場で榴弾を投げ、大尉とフランス兵の約20名を死傷させた罪でフランス政府によって捕らえられ、サイゴンの刑務所で監禁、拷問と取り調べを受けた。彼女が18歳未満であったため弁護人らは判決に異議をとなえるも、翌年4月、裁判で死刑となり、コンダオ(Con Dao)島へ流刑となった。   Street201406_01 1952年1月23日朝7時、銃殺刑で処刑。常に毅然とし、処刑の際に跪くことを求めたフランス兵に対しても、「私は立つことしか知らない、跪くことなど知らない!」と言い放った。また、最期まで故郷を目に焼きつけたいと、目隠しを拒み、故郷の海をながめながら革命歌を歌い、「ベトナム万歳! ホー・チ・ミン万歳!」と叫んで死んでいったという。1994年9月2日、人民武装部隊の英雄の称号を授けられた。   コンダオ島にあるヴォー・ティ・サウの墓はパワースポットともされ、日々多くの人々が参り、祈りをささげている。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学とベトナム書道はライフワーク。日々はどローカルライフ。
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