#43 Đường Hồ Huân Nghiệp
ホーフアンギエップ通り
カテゴリ:ベトナム歴史ストリート
更新:2017/06/19 – 10:00
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ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
初期の対仏抗戦に参加
南部各地で活躍した儒学教師
ホー・フアン・ギエップ(Ho Huan Nghiep/胡勳業、1829~1864年)は、儒学の教師で、かつてのザーディン(Gia Dinh)地域(現ホーチミン市)で起きたフランスに対する抗戦に初めて参加した1人。
現ホーチミン市タンフー(Tan Phu)区生まれ。幼い頃から両親の熱心な教育を受けた彼は文才と美しい文字を書くことで有名で、多くの人に尊敬されていた。また、父親が亡くなると墓の隣に家を建て、教師を続けながら母親を養うという家族思いな面も持ち合わせていた。
1859年にフランスとスペインの連合軍が東南部地方3省を侵略し、グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)軍が敗北を重ねる中、阮朝の官僚チュオン・ディン(Truong Dinh/張定)は、皇帝に逆らい同志を集めてフランスに対するゲリラ戦を開始した。ギエップは年老いた母親の世話を託すべく妻を得てから、チュオン・ディンの誘いを受けて南部各地でのゲリラ戦に参加。しかし苦しい戦いが続き、1862年2月には阮朝とフランスの間で第1次サイゴン条約が締結され、東南部地方3省などの割譲やキリスト教布教の自由、メコン川の開放など12項目が定められた。
1864年4月17日、ギエップはフランス軍に捕えられたが、抗戦の内情を話すことを断固として拒み、斬首刑に処された。死の直前、ギエップは体を清め、身なりを整えてから七言絶句の詩を読み、斬首されたという。
ホーチミン市1区ベンゲー街区には、ホー・フアン・ギエップの名を冠した通りが存在している。ただし、通り名の看板では「Huan」の声調の表記が誤って記載されている。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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