#42 Đường Nguyễn Thiện Thuật/グエンティエントゥアット通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

Nguyen Thien Thuat

阮朝時代に北部での大規模な 反仏運動を指導した高官

エン・ティエン・トゥアット(Nguyen Thien Thuat、1844~1926年)は、19世紀末にベトナムの愛国者らが起こした反仏運動「カンヴオン(Can Vuong/勤王)運動」における蜂起の1つ「バイサイ(Bai Say)蜂起」の指導者。現在のフンイエン(Hung Yen)省ミーハオ(My Hao)県スアンズック(Xuan Duc)村の貧しい一家の長男として生まれ、弟らも後にバイサイ蜂起に参加した。 グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)の高官として、ハイズオン(Hai Duong)省やバックニン(Bac Ninh)省、ハイフォン(Hai Phong)など北部の各地を治めた。1882年末から1883年にかけてフランスがハノイを占拠すると、阮朝朝廷に反してフランスへの抵抗を決意。フンイエン省バイサイ地域に拠点を置き、阮朝をフランスの保護国とする第一次フエ条約(アルマン条約)が1883年8月に締結された後も、フランスへの抵抗を続けた。 一時は中国に逃れたが、1884年に13歳で即位した阮朝第8代皇帝ハム・ギー(Ham Nghi/咸宜)帝がフランスに抗戦するためのカンヴオン蜂起を呼びかけると、トゥアットも1885年にバイサイへ戻り、ゲリラ戦術を採用して北部各地での蜂起を指導した。1885年9月に咸宜帝は退位し、その後もフランスに対する反乱は続いたが敗北。フランスによるベトナム統治時代に入っていく。 トゥアットは、1926年5月25日に中国・広西チワン族自治区で病死した。 現在、ホーチミン市3区のグエンティエントゥアット通りは、伝統楽器をはじめ様々な楽器を購入できる「楽器街」として知られている。ハノイやダナン、ニャチャン(Nha Trang)にも同名の通りが存在する。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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