#18 Đường Bùi Viện/ブイヴィエン通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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海事改革と外交に従事したフランス領化以前のグエン朝高官

vn-history-logo ブイ・ヴィエン(Bui Vien、1839~1878年)は、グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)のベトナムにおける改革者であり外交官。現在のタイビン(Thai Binh)省ティエンハイ(Tien Hai)県生まれ。29歳で郷試(科挙の第1段階)に合格するも、次の会試には2年連続で不合格。 1871年、トンキン(Dong Kinh/東京、ベトナム北部の紅河流域)を治めていたグエン朝高官のサポートに就き、北部での職務を完遂。その後フエに戻り土地の開墾・干拓に従事した。彼はハイフォン(Hai Phong)港の建設や、軍艦200隻と海兵2000人を含む海軍の巡洋艦隊の結成、また各地沿岸地方での交易システムの確立などで成功を収めた。 1873年、ベトナムは脅威を増すフランスに対抗すべく他国の援助を求めていた。高い能力を認められた彼は米国への使いを命じられ、同年 8月にフエを出発。香港や横浜を経由して海路で米国へ渡り、第18代大統領ユリシーズ・S・グラント(任期1869~1877年)に謁見。米国もフランスの脅威から他国の援助を求めていたが、ブイ・ヴィエンは国書を持っておらず、盟約締結は叶わず帰国した。 グエン朝第4代皇帝トゥドゥック(Tu Duc/嗣徳)帝(在位1847~1883年)から国書を得て1875年に再度米国へ渡ったが、米仏関係はすでに回復しており、越米間の盟約はまたも不成立。彼はフエに戻り、都での職務に就くが、約3年後に39歳で急死した。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学とベトナム書道はライフワーク。日々はどローカルライフ。
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