#15 Đường Bùi Thị Xuân/ブイティスアン通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。 よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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容姿端麗・文武両道、西山党の 反乱で活躍した女性指導者

vn-history-logo ブイ・ティ・スアン(Bui Thi Xuan、?~1802年)は、タイソン(Tay Son/西山)朝(1778~1802年)の治世における女性指導者。ビンディン(Binh Dinh)省タイソン県生まれ。幼少の頃から容姿端麗・文武両道で器用な上、特に武術に優れていた。後に夫となるチャン・クアン・ジエウ(Tran Quang Dieu)が虎に襲われたところを救ったという伝説もある。 18世紀、ベトナムではレー(Le/黎)朝(1428~1527年、1532~1789年)が弱体化し、北部は鄭氏(交趾国)、南部は阮氏(広南国)が治めていた。しかし南北の争いに加えて官僚の不正がはびこり、大飢饉と反乱が多発。こうした中、1771年にグエン・フエ(Nguyen Hue)ら3兄弟がタイソン県でタイソン党の反乱を起こした。ブイ・ティ・スアンは反乱初期から夫と共に参加し、指導者として人々を率いて多数の戦いに勝利。1778年にタイソン朝が興るが、西山党の反乱で逃げ延びた広南阮氏のグエン・フック・アイン(Nguyen Phuc Anh)が後に勢いを取り戻し、1802年の戦いでブイ・ティ・スアンらは敗北。タイソン朝はわずか約20年で幕を閉じた。ブイ・ティ・スアンは夫と共にグエン・フック・アインの軍に捕えられ、象による踏み付け刑に処された。グエン・フック・アインはその後、ザーロン(Gia Long/嘉隆)帝として広南阮氏を再興する形でグエン(Nguyen/阮)朝を興し、初代皇帝となった。なお、タイソン県にあるクアンチュン(Quang Trung/光中)帝博物館には、ブイ・ティ・スアンの銅像が展示されている。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学とベトナム書道はライフワーク。日々はどローカルライフ。
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