#12 Đường Phan Bội Châu/ファンボイチャウ通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。 よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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日本を目指し日本に学んだ 東遊運動と反仏独立運動の指導者

vn-history-logoファン・ボイ・チャウ(Phan Boi Chau、1867年12月26日~1940年10月29日)は、フランス植民地時代における反仏独立運動の指導者。ゲアン(Nghe An)省生まれ。10代の頃から独立運動に関わっていた彼は、中国の「新書」を読み、明治維新以降の富国強兵、近代化、日清戦争勝利と力のある日本に着目。独立運動への協力を日本に求めることにした。 これを実行すべく、1905年に日本へ。中国・清の梁啓超や犬養毅、大隈重信らと出会い、兵器ではなく「人材を育成する」ことで独立運動は成功し得る、と説かれた彼は、ベトナム人青年を日本に留学させる「東遊(ドンズー)運動」をおこした。 しかし日本は1907年に日仏協約に調印し、ファン・ボイ・チャウやベトナム人留学生らを日本から追放した。この頃、彼らを援助した1人が医師の浅羽佐喜太郎。日越国交樹立40周年の2013年、ファン・ボイ・チャウと浅羽の友情を描いたドラマが日本とベトナムで放送された。 その後中国へ逃れた彼は、やはり兵器による独立運動を目指すも失敗。1914年に広州で逮捕・監禁。1925年に上海でフランスにより逮捕。終身刑となるが、ベトナム国民の反発で恩赦。フエで軟禁されたまま、1940年にこの世を去った。 ホーチミン市では、ベンタイン市場を挟んで同通りとファンチューチン(Phan Chu Trinh)通りが平行に走る。東遊運動で共に日本へ渡るも反発し合ったこの2人、やっぱりいつまでも交わることはないらしい。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学とベトナム書道はライフワーク。日々はどローカルライフ。
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